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  • 残暑お見舞い申し上げます

    猛暑続きの日々ですが,いかがお過ごしでしょうか。

    熱中症などにご用心ください。

    私の夏期休業は,8月13日から15日までの3日間です。この間は,電話での受付も致しておりませんので,あしからずご了承ください。

    まあ,休みといっても,事務局を閉めているだけで,私は溜まった起案やら事務処理やらで,結局は事務所で仕事をしております。

    そのような次第で,現在,新しい事件を受任する余力がありませんので,私のWebサイトや,このブログをご覧になって連絡を頂いても,お引き受けできません。恐れ入りますが,最寄りの弁護士会へ,ご相談ください(クリックすると日弁連サイトへ飛びます)。

  • 刑務所・少年院は無菌室である

     以前担当した業務上過失致死事件の国選弁護刑事事件の被告人(加害者)が,受刑者となってある刑務所で服役している。この刑事事件は,放縦な生活をしていた受刑者が,不眠の影響下に自動車を運転して事故を起こし,同乗者らを重傷・死亡させたものだった。

     この受刑者から,刑務所での作業賞与金が溜まったので,被害者(故人)へ線香代を送りたいとの手紙が届いた。私は,遺族への取り次ぎを引き受け,後日受刑者から送られてきた1万円札1枚を,受刑者の手紙とともに被害者遺族へ送った。

     このようなことは滅多にあることではなく,大半の受刑者は裁判が終われば再び弁護人に接触して被害者に被害賠償をすることはない。有り体にいえば,「逃げてしまう」のである。

     被害者遺族からは「受刑者の気持ちは分かった。しかし,彼は刑務所という,世間から隔絶された無菌室にいて,反省する環境が十分に用意されている。だから,彼が出所してからさらに年月が経ってみないと,彼の本当の気持ちは分からない。もし,そのときにもまだ謝罪の気持ちがあったら,そのときは墓前へ参ってほしい。」との返事があった。

     最近,民事専門になってきて,刑事弁護事件をほとんど扱っていない。しかし,刑事事件をやっていると,ときどき,こんないいこともある。
     さだまさしの「償い」が私の頭の中でリフレインしている。

  • マンション紛争を考える

     もし隣に一戸建てが建つとしたら,そこの人は,少なくとも隣近所に挨拶くらいはするだろう。
     ところが,マンション建築は,近隣住民に,一方的に「説明」がされ,事務的に物事が進み,なにか文句を言えば,法的に規制をクリアしているのに何を「反対」するのかと非難される。
     一戸建てなら,たとえ法的規制をすべてクリアしていたとしても,そのあと現実にそこに住むわけだから,隣近所の人とうまくやっていきたいという動機が働くし,それによって,一定の調和ができる(仮に調和ができなければ,どちらかがそこから立ち去るだけであるが,いずれにしても周囲への影響は少ない)。
     しかし,マンション開発の場合には,マンション側のほうが,圧倒的に巨大であり,「話し合い」による「調和点」は自ずから,マンション側の利便におおきく傾くことが必定である。また,開発業者・販売会社は,分譲してしまえば,その物件にその後関与する必要がないので,売り切ってしまうまでは,少々近隣を気にしても,あとのことは知らないで済む。さらに,居住者といえば,一体どれだけの人が,マンション外の近所の人々に「このたびは大きな建物を建てまして,いろいろとご迷惑をおかけします・・・」などと,挨拶してまわるだろうか。おそらく,皆無であろう(もしそんな人が実際に来たら,別の意図(訪問販売?)を疑うかもしれないほど)。

     要するに,マンション問題の根源は,はじめから「話し合い」解決のベースがないところに,「話し合い」を持ち出すが故,紛争が激化するところにある。すなわち,マンション紛争は,労使問題消費者問題などに見られるように,交渉当事者の非対称性が顕著に表れる紛争類型の一種であるから,これを解決するのに,中立的な介入はありえない。

     しかしながら,現状では,中高層建築物に関する紛争調整制度や,大規模建築物事前開示制度を設けている自治体は数少ないうえに,それらの手続に通底しているのは,建築・開発側と地域住民側とが「対等」「話し合う」ことを前提とする発想である。当然ながらこのような発想に基づく紛争「調整」がうまくいくはずがなく,制度の理想に反して,その運用は調整不成立ばかりという惨状にある。行政や立法が制度的に中立であっても,実体的に格差があるなかで,その「中立性」にこだわれば,一方当事者(開発側)への荷担であると言われても仕方ない。

     法律がそうなっている,行政がそのように決めたといえば,その通りかも知れない。しかし,「お隣さん」「お互い様」という「人間同士」の暖かいやりとりまでも否定していいのだろうか。

     もしあなたが開発業者側ならば,周辺住民との話し合いのなかで,「法律の規制はクリアし,行政の指導にも従っているので,何の問題もない。」というセリフを決して吐かないでほしい。そんな発想そのものが「私は人としての道徳を捨ててあなたと対面している。」という凶悪なメッセージであることに気づいてほしい。