カテゴリー: 企業法務

  • 従業員に対する秘密保持の要求と限界

     事業のアイデアや顧客情報、取引先のネットワークやノウハウなど、事業を進めていくうえで、蓄積した知的な資産の重要性が増し、その再利用や発展的利用の形態・方法も多様化しています。そして、多くの情報がコンピュータに一括して保持されるようになり、痕跡を残さずにコピーして外部へ持ち出すことも容易になっていますので、情報流出による損失の危険にも直面しています。
     そのため、企業では、従業員に対して、企業内部で知り得た情報の秘密保持を求める例が多くなっています。
     秘密保持を求めるにあたっては、在職中の場合と退職後の場合とを分けて考える必要があります。

     まず、在職中については、労働契約の付随的内容として、労働者には使用者の業務命令に従い、使用者に損害を与えないように行動するべき義務があるといえますので、特段の秘密保持契約を結ばなくても、従業員が企業秘密や顧客情報を故意・過失で外部に漏らした場合には、懲戒処分等により責任をとらせることができます。ただし、対象となる情報については、組織体制や管理状況として、通常であれば容易に外部に漏れないという「秘密管理された状態」で保持されていたものであることが必要です。つまり、誰でも簡単に持ち出せるようなものは、有用な情報として保護されない可能性があるということです。ですから、日常の管理のなかで、部外秘なのかそうでないのかは常時明確にしておいて、相応の管理レベルを設定して実行しておくことが必要です。たとえば、秘密保持義務違反による懲戒処分の適法性が争われた場合、秘密管理されていない情報の持ち出しの責任を主張することは訴訟技術困難があり、企業側の敗訴リスクがあります。

     これに対して、退職後については、労働契約の直接の拘束がないことと、労働者の職業選択の自由との関係で、さらに困難な問題が生じます。
     まず、不正競争防止法では、労働者の退職後であっても、特定の営業秘密を対象企業への加害目的や自己や第三者の営利目的で使用・開示することを禁じていますので、その限りでは責任を追及できるケースがあります。しかし、不正競争防止法の対象秘密に当たらない事項であった場合には、退職後も効力があることを予定した特別の秘密保持契約を締結しておかなければ、責任追及ができないのが原則です。
     しかも、単に就業規則や労働契約中に退職後の秘密保持義務を定めるだけでよいかどうかは、専門家の間でも意見が分かれているところですので、安全のためには就労時・昇進時・退職時等に、それぞれ秘密管理レベルや必要性等の実情に応じて個別に秘密保持契約を締結するほうがよいでしょう。

     なお、上記に関連して、一定期間、競合他社へ就職しないという転職制限条項や競合他社就職の際には退職金を返上するという違約条項が有効かどうかについても問題となりますが、これらについても、制限の具体的な内容が個別に問題とされますので、一概に有効・無効を判断することは難しく、高度の敗訴リスクがあります。そのため、それらの条項の導入には慎重であるべきと考えます。

  • 業務命令と就労請求

     使用者は、採用した従業員に対して、業務上の命令を下すことが出来ます。しかし、「業務命令」の名のもとに、何でも命令していいわけではありません。
     例えば、他の会社の倉庫から物品を盗んでくるとか、顧客に対して詐欺的な水増し請求をするとか、他の社員に対して暴行脅迫するとか、刑事罰に触れるような命令はできません(当然です。・・・が、ブラック企業ではありがちかもです・・・)。

     では、「売り上げのよくない社員だけに、就業時間内にトイレ掃除を命じる」これはどうでしょうか。
     トイレ掃除は会社にとって必要な作業だから、業務の一環だと言い切れるでしょうか。一般論としていえば、そのような懲罰的な命令は、違法性が強いと言わざるを得ません。懲罰を加えたいのであれば、就業規則に明記されたものだけを実施すべきです(ノルマ未達成だけで懲罰は無理ですけど・・・)。

     業務命令が問題になった裁判例には次のようなものがあり、いずれも裁判では違法とされています。
     ・服装規定に違反した従業員に、就業規則を書き写させる罰を与えた例
     ・労働組合のバッジを外さなかった従業員に、外回りの掃除を命令した例
     ・営業車両で接触事故を起こした従業員に、事務所敷地の草取りを命令した例
     ・卒業生の合否判定会議の結果に異論を唱えた教師を、担任から外して反省文作成を強制した例
     ・職場内でのトラブルに対する罰として、炎天下で踏み切りの監視をさせた例
     ・自動車事故を起こした郵便局員に対して、自動車乗務の停止と会議室での反省を強いた例

     以上は、会社側から、従業員に対して、一定の業務を命令することの問題ですが、逆に、従業員の側から、会社に対して、自分を業務に就かせるように求める権利があるかどうかが問題になることがあります。
     たとえば、会社が、懲罰として、一定期間の出勤停止を要求したり、解雇をした際、従業員が、その処分が無効であることを理由として、個別具体的な業務への就労請求をすることが法的に可能かどうかが問題になります。また、配置転換等をすることなく、業務内外で傷病を負った従業員に対して、業務に適さないことを理由に自宅待機を命じることや、精神疾患(躁鬱病、人格障害等)を理由として、休職を求めることなども、問題となります。
     この点、裁判例上での一般論としては、従業員の側から、会社に対して、希望する職務内容に従事させるように求める「法的な権利」まではないとされていますので、会社は賃金を支払っている限り、その従業員をどのように業務に就かせるかを原則として自由に決めることができます(まったく仕事を与えないことはパワハラとして違法になることもありますが・・・)。
     そして、その延長として、会社として業務に適さないと判断した場合には、賃金を支払う限り、実際の職務から外すということも原則として可能といえます。

     ただし、最高裁の判例には、「労働者が職種や業務内容を特定せずに労働契約を締結した場合には、現に就業を命じられた特定の業務について労務の提供が十分にできないとしても、その能力、経験、地位、当該企業の規模、業種、当該企業における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして当該労働者が配置される現実的可能性があると認められる他の業務について労務の提供をすることができ、かつ、その提供を申し出ているならば、なお債務の本旨に従った履行の提供があると解するのが相当(平成10年4月9日片山組事件判決)」と述べたものもあるので、会社が業務不適応と判断した場合でも、従業員自身が他の職種での業務を希望していれば、いったんはその業務での従業を試みるほうがよいケースがあります。

     そのような会社側の努力があったかどうかが、後にやむなく解雇する場合に、会社側に有利な事情として斟酌される可能性がありますので、しっかり対応することが肝要です。

  • 労働法 就業規則と労使慣行

     自社の就業規則を事業所開設以来、一度も改定したことがない経営者はどのくらいいらっしゃいますでしょうか。

     就業規則は、法的観点からすると、大変あいまいな立ち位置の文書でして、かつて、最高裁判所まで効力が争われたことがありました。

     著名事件の一つは、役職者に対して定年制を規定していなかった会社が、対象者の入社後に定年制を採用した場合、定年制になる前から主任であった当該対象者の同意がなくてもこの定年制規定を適用して良いかという内容でした。
     地裁は、定年制を適用できないと判断しましたが、高裁・最高裁はいずれも、「就業規則は、従業員の同意なく変更でき、変更後の規定が合理的であれば、同意しない従業員にも適用できる」と判断しました。
     もう一つの事件は、懲戒解雇の定めを追加した新しい就業規則を従業員に周知しないままになっていたのに、変更後の規定に基づいて懲戒解雇を適用した場合、その解雇が無効かどうかという内容でした。こちらは、同意なく変更できても、周知していなければ、個々の労働者の同意なく適用できないと判断されました。その他、就業規則の変更については、多くの裁判例があります。
     これらの最高裁の理屈は、労働契約法が制定された際に条文に取り入れられました。
     まず、(1)労働契約は、労働者及び使用者が「合意」することによって成立し、変更されます(労働契約法6条、8条)。すなわち、あくまでも「合意」が大前提であって、就業規則に書けばいつでもそのとおりになるというわけではありません。
     次に、(2)労働契約の「際に」、就業規則を労働者に「周知」させていれば、その内容が契約内容・労働条件になります(7条)。あくまでも「周知」が大前提であって、就業規則なんか見たことがないという社員がいるようでは、労働条件が周知されているとはいえません。可能であれば、社員手帳を発行して就業規則を掲載しておくことまで必要かと思われます。
     そして、ここが大事ですが、(3)原則として、労働者との合意なしに就業規則を労働者の不利益に変更してはいけません(9条)。すなわち、同意なく変更できるのは、例外的な場合に限られるということです。そして、その例外要件は、次のように概括的に記載されていますので、具体的なあてはめについては、慎重な検討が必要です。

      就業規則の変更が、
     労働者の受ける不利益の程度
     労働条件の変更の必要性
     変更後の就業規則の内容の相当性
     労働組合等との交渉の状況
     その他の就業規則の変更に係る事情
      に照らして合理的なものであるとき

     権利義務を規定する法的文書は、現実に一致していないと、いざというときの役に立ちません。労使慣行の実態と合わない就業規則を放置していると、他の有効な条項まで無効だと言われかねないので、実態に合うように常時見直すことが必要と思われます。