カテゴリー: 企業法務

  • 退職の意思表示について

     今回は、始めに、裁判になった実際の事例を示します。

     事例(最高裁判所第3小法廷昭和62年9月18日判決)
     Aさんは、同期入社のBさんと某政党の班会議を組織して、会社に秘密にして活動をしてきたところ、組織からの脱退を考えたBさんが失踪してしまいました。
     会社の人事課担当者が、Bさんの無断欠勤についての事情調査をしたところ、Bさんのお父さんが、失踪前日にAさんがBさんの自宅を訪問したことを話しました。会社は、Aさんに事実を確認しましたが、Aさんは訪問を否定しました。しかし、人事課担当者がBさんのお父さんにAさんの写真を見せたところ、間違いないというので、人事課担当者がBさんの部屋を調べたところ、某政党関係の資料が多数見つかりました。
     そこで、会社は、Aさんに再度の事情聴取をしたところ、AさんはBさん宅訪問の事実を認めて、隠していたことを謝りましたが、某政党との関係は秘匿し、Bさんの失踪原因や行方に心当たりはないと答えました。会社は、Aさんに「B君の失踪事件に関するお詫び」と題して「他に隠し事はありません。Bさんの失踪とは無関係であることを誓います。偽りがあった場合はいかなる処分も甘受します。詫び書きの内容に偽りがあったことがわかった場合は会社の処分を受ける前に、潔く自分から身を引きたい。」という内容の文書を作成させました。
     会社は、その文書を作成させた翌日、Aさんに某政党の資料を示し、Bさんの失踪との関係につき再度追及したところ、Aさんは政党の活動を秘密にしていたことを「偽り」にあたるとされても仕方がないと考えて、その日に人事部長にいったん退職届を提出しました。しかし、Aさんはその次の日、やはり退職はしたくないから、届けを取り消すと人事部長に申し入れました。人事部長はこれを拒絶しました。
     以上が事件の流れです。

     地方裁判所は、退職の意思表示が真意ではなかったので無効であると判断しましたが、高等裁判所は退職の意思としては真意であって有効であるけれども、退職届は人事部長のところまでで止まっており、会社としては退職の承諾まで決定していない段階だったと判断して、退職の撤回を認めました。

     さて、いかがでしょうか。人事部長が退職届を受け取ったら、その時点で会社としても退職を認めたと考えるほうが自然だとは思われませんか。
     
     最高裁判所ではその点が問題とされ、「人事部長に退職届受理の権原がないとか、退職届を受け取る際に単に預かるだけと示したような特別の事情がない限り、通常は人事部長受理の時点で退職が承諾されたと解される」と判断されました。
     このように、退職届の受理という単純な問題であっても、本人の意思を確認し、承諾の有無をはっきりさせておかないと、思わぬ紛争になり、しかも裁判所によって判断が違ってくるという困った問題になることがあるのです。

     いろいろな物事を法的に合意するためには、講学上、「勧誘」「申込」「承諾」の3つのステップがあると言われています。

     勧誘とは、申し込みしませんかと誘うことです。退職でいえば、「退職勧奨」「退職募集」などですね。

     申込とは、契約をしたいという自分の意思を相手に伝えて、相手の承諾を求めることです。退職で言えば、退職への応募とか退職届の提出ということになります。

     承諾とは、相手の意思を確かめて、こちらの希望する契約内容と合致していれば、合意成立を了解するということです。退職でいえば、退職届の受理とか、退職手続の開始ということになります。
     これらのうち、申し込み・承諾の内容が具体的にどうだったのかが明確になっていないと、「言った言わない・決めた決めてない」のやっかいな紛争となって現れてくることになります。

     何事も、きちんと相手の意思を確かめて、当方の意思を明示するということが法律の世界では重要になってきます。

  • 労働法:懲戒権の行使にあたっての判断思考

     最近の就労環境は人手不足が言われており、人材の流動性も進んでいます。
     他方、企業側は、そのような環境のなかでも、一旦雇用した従業員の雇止めをすることは、そう簡単にできることではありません。しかも、最近では、対人関係で問題を抱えている人や、精神疾患や器質性疾患を抱えていて会社に知らせていない人など、他の従業員との人間関係や職場環境への適応がうまくいかない人たちが増えているのではないかと思われます。。
     ある弁護士が、そのような従業員のことを「現代型問題社員」と名付けていますが、確かに、昔のように、社内で政治活動や選挙運動をするような人たちとは、対応のしかたが違ってくるように思います。
     ひとまず、今回は、使用者の懲戒権の行使について、古い裁判例を参考にして、ごく基本的な部分を解説します。

     使用者は、労働者に対して、法的に有効な範囲で懲戒権を行使出来ます。違法になると、民事的には損害賠償の義務、刑事的には強要、強迫、暴行等の責任を負うことがあります。
     従業員の政治活動が問題となった関西電力事件(昭和58年最高裁判決)では、「労働者は、労働契約を締結して雇用されることによって使用者に対して、労務提供義務を負うと共に、企業秩序を遵守すべき義務を負い・・・使用者は、制裁罰である懲戒を課することができる」と述べています。
     ただ、どんな懲戒処分でも自由にできるかというと、そうではなくて、上記最高裁判決は、「企業秩序は、通常労働者の職場内または職務遂行に関係のある行為を規制することにより維持しうるのであるが、職場外でされた職務遂行に関係のない労働者の行為であっても、企業の円滑な運営に支障を来す恐れがあるなど企業秩序に関係を有するものもあるのであるから、使用者は、企業秩序の維持確保のために、そのような行為をも規制の対象とし、これを理由として労働者に懲戒を課することも許される。」と述べて、「職場外でされた職務遂行に関係のない行為」に対して、相当性・関連性を審査する態度を示しています。
     関西電力事件では、従業員が会社の社宅に会社を誹謗中傷するビラをまいたという案件でしたが、それに対して、譴責処分を与えたことは適法だとされました。

     別の事件では、無断欠勤を理由に懲戒解雇し、その後、裁判の中で、履歴書の虚偽記載(57歳のところ45歳と年齢詐称)が明らかになったので、それを懲戒解雇理由として追加したという事案は、地裁では解雇有効と判断されましたが、高裁と最高裁で解雇無効と判断されました。

     その他、今日までの間に、大変多くの裁判例がありますが、法律家的発想では、「懲戒の対象となる行為の程度と、それを対象とする懲戒処分の内容とが、社会常識的にみて、均衡を保っているといえるかどうか」を判断しています。
     経歴詐称に関しては、もう一つ最高裁の著名判決があります。学生運動の活動家だった者が、大学中退を高卒と偽って入社し、無許可で社内にビラ配布をした件で懲戒解雇になったという例です。このケースでは、採用面接時点で刑事被告人として公判中だったことも隠していたようです。前科前歴の有無等、自己の不利益情報について、(道義的にはともかく)資格要件等でない限りは、法的に自己申告の義務まではありませんし、現代刑事裁判は、判決が確定するまでは「無罪」であるという前提で動いていますので、公判中であることはなおさら申告しなくても差し支えないといえるでしょう。
     結果的には、このケースでは解雇が有効とされていますが、もし刑事被告人になっていなくて、社内での目に余る政治活動もなく、大卒の学生運動活動家だったことを隠す学歴詐称だけで解雇して有効かと言われると、微妙なケースと思います。
     
     懲戒権の行使は、解雇の有効・無効につながる非常に重要な局面ですので、無益な裁判を避けるためにも、事前に慎重な検討をされることが必要と考えます。

  • 通勤災害について

     以前、労働災害のうち、「業務災害」について説明しました。労働者災害補償保険法では、「通勤災害」についての補償規定も置いています。
     通勤災害とは、就業に関して、住居と就業場所との間を、合理的な経路・方法により往復中に生じた災害のことです。

     会社としては、従業員の安全管理上の問題として、従業員に対して、どのような交通手段をとって会社まで出てきてもらうのかについて、具体的に合理的と考えられる指示をすることが出来ます。例えば、公共交通機関の利用指定、自転車・バイク・自動車等による私有手段での通勤の可否などです。

     ただし、会社が認めていない通勤方法で通勤していて事故にあった場合でも、その経路・手段が合理的である限りは、通勤災害になります。例えば、自動車通勤を禁止している会社で、会社に無断で自動車通勤して交通事故にあった場合にも通勤災害扱いになり得ます。なお、そのような場合に、会社の服務規程違反として懲戒することは問題ありません。

     通勤災害になるかどうかは、労基署が判定しますので、会社が直接この問題に関わることはありませんが、労務管理上の知識としては押さえておく必要があります。
     裁判例ではいろいろな点が問題となっていますが、要は、「経路からの逸脱中断がなく、手段が通勤として合理的かどうか」のところが争われます。

    例1)経路上にない場所への寄り道
     経路上(複数可)であれば問題ありませんが、経路をはずれて寄り道をすると、その寄り道以降の分は通勤災害にならないのが原則です。ただし、日用品の購入や保育所への送迎、公選の投票などは例外として、経路の逸脱になりませんので、その後の分は通勤災害扱いが可能です(寄り道中の分はいずれにしろ通勤災害対象になりません)。

    例2)渋滞を避ける為に遠回りした場合
     渋滞を避けることは合理的経路と判断されます。経路が複数あってもかまわないので、いつも必ず同じルートを通ることが必要ということではありません。

    例3)取引先の接待を受けた後の帰路
     就業に関して発生する移動でなければ通勤災害になりませんので、休日の取引先主催の接待ゴルフの行き帰りは通勤災害と認められない可能性もあります。会社主催の歓送迎会等については就業に関するものとされ、業務に関する会合に出席して懇親会に出た後の帰路でも通勤災害を認めた裁判例があります。

    例4)単身赴任者が現住所でなく、家族の住む場所から通勤した場合
     原則として、自宅と就業場所の往復でなければ通勤災害と認められませんが、単身赴任者が家族の住む場所から直接出勤してくるケースでは、自宅からの経路でなくても通勤災害と認められる場合があります。

    例5)出稼ぎ者が帰省先から会社の寮へ帰る場合
     会社の寮は就業場所ではないので、原則として通勤災害になりません。直接会社へ来る場合には単身赴任者の例に近いので、通勤災害になる可能性があります。裁判例上では、建築会社の事案で、会社の寮が工事現場にあったことから、出稼ぎ者の実家から寮への帰路上の災害を通勤災害として認めた例があります。

    例6)いわゆる直行直帰や出張の場合
     就業場所が社外にある場合でも、その場所までの往路・復路が合理的であれば当然通勤災害として認められます。出張の場合にも往復の合理的な経路・手段であれば通勤災害になります。

    例7)通勤途中に強盗被害に遭った場合
     このような場合には、実務上、判断が分かれています。
     平成7年のオウム真理教によるいわゆる「地下鉄サリン事件」では、被害者に通勤災害が認められていますが、通勤途上を待ち伏せされてオウム真理教信者に殺害された事案では、通勤災害が認められませんでした。

    例8)派遣社員が派遣元から派遣先へ移動する場合
     行政の解釈では通勤災害ではなく、業務命令の存在を前提とする業務災害として認定されます。自宅から派遣先への通勤は通勤災害です。