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9条国際会議・世界会議 関西 案内

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 いま、日本は第二次世界大戦後もっとも大きな分岐点に立っているのではないでしょうか。

 あとになって、そのときお前は何をしていたのかと問われないように、選挙権を持つ人はみな、日本の進むべき道筋を自分の責任で考えて、きちんと意見表明をしなければならないと思います。
  憲法9条、同96条はそのなかでも、最重要問題の一つだと思います。

 私は、基本的には保守的な人間で、安保条約や、自衛隊(国防軍でもいいですが)の維持に対して、現状としては、当面必要であるとの認識です。しかし、現在の与党政権は、憲法9条の理念を骨抜きにし、立憲主義の基本を捻じ曲げた新憲法の制定を画策している点で、全く私の政治的な思想と相いれません。

 人に限らず、動物はすべて生存のためにときとして同族の間であっても闘争をしてきました。そして、人間は、自然の驚異的な奇跡によって高度な「知能」を持つようになり、血を洗う闘争を避けるための「規範」づくりをし、相互に意志疎通するための「言語」を使うようになりました。規範を理解し、言葉でそれを運用することを仕事とする弁護士は、人の英知を体現した仕事であり、私はそのことに誇りを持っています。

 それでも、最近に至るまで、「国」「民族」「宗教団体」などの集団と集団が武力で衝突をすることが絶え間なく続いています。
 人もしょせん動物ですから、自己保存本能や怒り・悲しみ・欲情の情動に基づいて、個人的に暴力的行動をとることは、やむを得ない偶発事情であって、根絶は不可能でしょう。
  しかし、衣食足りて、学識も高く、礼節を知るはずの、政府要人やその他の指導者的立場の人が、国や団体を統制して、敵対勢力と武力衝突をすることは、ある意味究極的に「理性的」な行動です。人間は、欲情にとらわれず、自己や他人を傷つけない理性的な行動をとることを道徳的な美徳にしているのではないでしょうか。それが、ひとたび、「戦争」になれば、まったくその道徳が逆転させられてしまうのです。これは、人として、大変に悲しい、情けないことです。

  たしかに、現代の世界には、狂気を現実行動にできる独裁国家がまだなおあります。しかし、その数が過去1000年の間にどれだけ減ったかを考えてみてください。記録されている限りでも過去5000年以上にさかのぼる人類史のうちで、これだけ地球が(人の移動や通信の面で)小さくなり、世界的な統一規範の共有が進みつつある時代は、せいぜい最近の数百年間に過ぎないのです。憲法9条は、もしかしたら、この先5000年間の人類史のなかで、国土は小さいけれども精神的にどんな諸国よりも高みにあった「日本人」という人々が、世界で最初に名実ともに堅持した「平和主義」という、新しい地球規範の基礎になるかもしれません。

  国際社会の現実は現実として、(軍事力による国防を含めて)きちんと対処することは必要ですが、憲法9条の理念は、決して揺るがしてはいけないというのが私の考えです。


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